しあわせのかけら

おたくとお片づけと手作り

静かに 確実にほら 夏が行く

夏という季節は、色んなワクワクと、ドキドキと、そしてほんのすこしの切なさが閉じ込められた、とびっきりキラキラしたスノードームみたいだ。

外に出た時の蝉のわぁっという大合唱、夏のにおいを運んでくる風、もくもくとした入道雲と真っ青な空。
見ているだけで、楽しい冒険が始まるような気分になる。

また、少し涼しくなり始める夏の夕暮れや夜も好きだ。なんだか美しいベールがかかっているかのように、幻想的で美しい。

夏の夜、自転車に乗っていると、思い出という駅に停車する電車に乗ってるような感覚に陥る。
爽やかな風を感じて、高校時代の部活帰りを思い出したり、
草のにおいがしたら、大学時代毎年夏に行ってた合宿所を思い出したり。
その電車は、日によって各駅停車の普通列車だったり、急行列車だったり、特急列車だったりする。
出会うにおいや風景一つひとつに思い出が呼び起こされる日もあれば、
一つひとつには立ち止まる気になれない時もあって、
もちろん、全く何も感じる余裕がない日もある。

夏が終わりに近づくと、そんな夜風に一筋の秋のにおいが混じる。
毎年、それを感じる瞬間は何とも寂しくて、なんだか大切なものが消えてしまうような気分になるものだ。

夏という季節には、他の季節にはない特有の切なさがある。
日々過ぎ去っていく時間は誰にとっても永遠に続くわけではないことを、わたしたちはせわしない日常の中でなかなか深く実感することがない。

しかし、子どものころの夏休みに代表されるように、夏は多くの人にとって、特別な季節であり、それが終わるということもまた、特別なことのように思われる。つまり夏の終わりは、すべてのことに終わりが来るという事実を浮き彫りにするものであるように思う。

 

 

 

 

今年もまた、そんなことを思う季節がやってきた。

思い出に「おかえりなさい」

写真ってすごくいいと思うんです。
時が流れて、色々なことがそのままではなくなってゆくけれど、
写真に残すことで、過ぎ去ってもうなくなってしまうはずだった「その時」という時間が、いつでも目に見える形で残る。

だけど、やっぱり現実には確かに「その時」はもうなくて、
そうやって写真という形で「その時」を目にすることで、
逆にその事実が浮き彫りになって、
その思い出が愛しいと同時に切なくて悲しくてたまらなくなることがある。

変わらずそこにある人の笑顔や、風景や、空気。はっきりと写っているし、こんなに手に取るように覚えているのに、
ふっと写真から目を離して我にかえると、その時間はもう思い出だということに気づく。
まるで救った砂が手からこぼれ落ちていくような。

 

 

だけどやっぱり、
確実に薄れていってしまう記憶の中でだんだん、
細かいことやぼんやりしたことから順に、
あったこともなかったことかのように忘れ去られてしまうのは寂しい。
写真に残すことで、流れていた時間を形にできる。
いなくなってしまった人、もう会わなくなってしまった人、そんな人たちとの時間も、写真の中には確実に流れている。

だから、やっぱり写真が大好きだ。

 

数年前に放送されていた「たまゆら」というアニメがあります。

主人公の沢渡楓ちゃんは、写真を撮るのが大好きなお父さんの影響で、
小さい頃からカメラを握るのが大好きでした。
愛情たっぷりのお父さん。
色んなところに連れて行ってくれて、たくさんの優しい言葉をくれるすてきなお父さんでした。

しかし、ある日突然、そのお父さんが亡くなります。
楓ちゃんの心には大きな穴があいてしまいました。
大好きだったカメラを持つこともなくなり、お父さんとの思い出の詰まった町を離れます。

 

月日は流れ、高校受験を控えた楓ちゃんは、お父さんとの思い出の町・竹原の高校を受験し、町に戻ることを決意します。


町に戻った楓ちゃんを迎えてくれたのは、優しい竹原の景色とあたたかい町の人々でした。

同じようにつらい思いを抱えてきたお母さんをはじめとする家族。
傷ついた楓ちゃんのそばにいて、いつも一緒に泣いて笑って支えてくれた神奈川の友だち。
そして、竹原の高校で出会ったかけがえのない仲間たち。
楓ちゃんを優しく見守ってくれる町の人々。

そして、お父さんがどれだけ家族のことを思い、愛し、ともに時間を紡いできたのかということーーー。

描かれる色んな人の思いが、どれも涙が出るほど、優しい。

過ぎ去ったお父さんとの時間が、悲しくてたまらなかった楓ちゃんは、
もちろんその思いが消えたわけではないと思うけれど、悲しみを乗り越えた先のあたたかさを感じるようになりました。

そして、持つことができなくなっていたカメラを、また始めます。

 

移り変わる季節のなかで、きらめくような美しい風景。

夢に向かって、ともに悩み、泣き、笑い、支えて合ってゆく仲間との限られた時間。

そんな、今しかないかけがえのない瞬間を、その手でカメラに収めていくのです。

 

次のセリフとナレーションは、第1章の最終回で、初日の出をみんなで見た時のものです。
(『』の部分は、前におばあさんが楓ちゃんに言ったセリフです)


【いくつもの新しい年が流れて
いつかはみんなそれぞれの道をゆく
だから今大切なこの瞬間を残したい

『楓の写真は
カメラの四角い窓を通して
楓が見つけた宝物ね』

時が経てば
二度と手が届かなくなるから
残しておきたかった宝物
その気持ちが
今わたしに下りてきて
わたしとお父さんの心をつないでくれたので

今目の前にある宝物は
時が経てば消えてしまうけど
お父さんのカメラで写真に残したら
わたしは大切な宝物の瞬間に
いつでも言える
「おかえりなさい」】


今は当たり前にある、友だちとの高校生活。町の人々との毎日。
でも、自分も含めいつかはみんなそれぞれの道を歩き、この日常は日常でなくなる。
お父さんを急に亡くした楓ちゃんは、そのことが誰よりもよくわかっているんだと思います。
だからこそ、今しかない今を一生懸命生きたいし、大切にしたい。
そして、いつかそれが思い出になった時にも、いつでもキラキラしたその瞬間の輝きを感じられるように、残したい。


写真には、写っている人だけではなく、そこに写ってはいないけれど、それを撮った人の姿があるって思います。
写真には、その写真を撮った人の心が現れている。いいなぁと思ったり、この瞬間を残したいと思った、その人の心が。
楓ちゃんや、楓ちゃんのお父さんの写真には、
その瞬間を大切に思う、愛情や優しさがたくさん流れていました。

 


わたしのアルバムの小さい頃の家族写真には、
もう二度と戻らない幼いわたしと弟が居て、亡くなった祖父母も確かにそこに生きていて。
大学時代の写真には、もうほとんど会うこともなくなったのに、当たり前のように共に日常を過ごしている友だちの姿、あの時の時間があって。

そして、今カメラロールには、
大人になったわたしと弟のいる家族の風景、遠征や現場の時など、アホみたいに騒いだり語ったりしている友だちとの思い出がたくさん収められている。

家族もみんな元気でいて、
今会ってくれている友だちとは、疎遠になりたくない、一生友だちで居させてもらいたいと思っているけれど、

やっぱりその瞬間っていうのはその時にしかないものだから、
思い出の数々を辿っていると、懐かしくてうるっとくることが多いんです。


でも、これからも、そんな大切なたくさんの瞬間を、残していきたいなって思います。

 

 

 

 

 

そこに収められている時間が楽しければ楽しいほど、
愛しく思えば思うほど、

 

切なくて泣きそうになることがあるかもしれないけれど、
そんな時はぐっとこらえて笑顔で

 


「おかえりなさい」

 

って言おう。