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夢の途中

だいすきなひとたちにしあわせがふりそそぎますように。

嵐との出会い。

わたしが嵐と出会ったのは16年前のちょうど今頃、バレーボールサポーターでの彼らのデビューでした。デビュー曲となった「A・RA・SHI」がひどく気に入り、毎日のように聴き、学校で友だちと踊り…
「この人たちの曲とダンスすごくかっこいい!」幼いわたしの素直な感想はそれでした。

しかし、当時のわたしには、曲やダンスをかっこいいと思えても、嵐という「グループ」「人物」を好きと思えない原因がありました(それは嵐に問題があるわけでも何でもなく、自分自身の問題です)。


小学校に入学してすぐに受けた、男子からのいじめのせいで、男子とうまく話せなくなっていたわたしは、気付けば「男の人なんてみんな嫌い」という強い刷り込みの中で生きるようになっていました。


だから、いくら直接話したり触れたりすることなどない遠い存在の「アイドル」であっても、タレントであっても、お笑い芸人であっても、
テレビ画面にうつる「男の人」も、わたしにとっては「嫌い」少なくとも「好きではない」存在でした。

どれだけ彼らの曲やダンスをかっこいいと思っても、彼ら自身のことをかっこいいと思ったり好きになったりなんてことはあり得ない。
だから、「パフォーマンスがすごくて曲がいい」としか口にしていませんでしたし、思ってませんでした。彼ら自身に対しては本当に何の感情も持てなくて(今から考えれば、もうすでに惹かれていて、「持たない」ようにしていただけだと思います)。

そんな感じの小学校高学年時代でしたが、その頃一世を風靡したのが、モーニング娘。です。女性であるため、わたしは安心して(?)彼女たちのファンになり、コンサートにも行きました。コラボ商品のお菓子を買い、友だちとメンバーの話を毎日のようにして…
そうこうしているうちに、嵐への想いは少しずつ薄れていった(恐らく、あまり考えないようにしていた)ように思います。
メンバーが出演するドラマも特に見ようとはしませんでした。リリースされる曲が耳に入るたびに、「いい曲だなあ」と思いながらも。


わたしが再び嵐と向き合ったのは、2005年。松本潤くんが主演した、花より男子がきっかけです。わたしはこの話題作を毎週楽しみに見ていました。主題歌は嵐のWISH。
わたしはこの頃から、嵐というグループには何か特別なものがある、と感じ始めるようになりました。
それは後に、彼らが国民的アイドルと呼ばれるほどの爆発的人気となることの予感とも言えますし、単にわたし自身が嵐というグループに特別な感情を持っていただけとも言えます。
男性アイドルなんて「好きになれない」という刷り込みはこの頃から、「好きにならない」という意地に変わり始めていたと思います(もちろん自覚はしていませんでしたが)。
 

そして、決定的だったのが2007年。花より男子2のクールを終え、夏、「山田太郎ものがたり」が始まりました。主題歌はHappiness。この曲は大人気で、ミュージックステーションのランキングで長い間紹介されていました。
そして、ある週の放送で、その瞬間はやってきました。今週もHappinessがトップ3入りしている発表があって、それを見たわたしは一番に



「あっ!やった!!」



と思ったのです。思ってすぐに自分の感情を振り返って、ギョッとしました。
今まで、彼らの曲が「いい曲」という感想しか持っていなかったのに、
さっき確かに、嵐というグループの曲がずっとランキング上位に入っているという事実が、「嬉しい」と感じた。

これはファンが持つ心理そのものではないのか。そろそろ認めるべきなのではないのか、「曲が好き」「ダンスすごい」なんて表面的なことばっかり言ってきたけど、わたしは、
 


この人たちが好き。
 









やっと自分の気持ちに正直になりました。
男の人を一生好きになることはできないんじゃないかというくらい、男の人という存在に嫌悪感しか持っていなかった(男の人を否定するわけでは決してありません、当時のわたしが、そうとしか思えていなかったというだけで、もちろんそれが間違った感覚だということはわかっています)わたしにとって、
これは簡単には受け入れがたい感情で、何度も受容と拒否を繰り返しましたが。アイドルを好きになるだけなのになんて大袈裟な…と多くの方はそう思われるはずです。

しかし、初めて男の人に対してプラスの感情を持つどころか「好き」とまで思えるようになったことは、わたしにとって大きなことで。



そういう意味では、わたしにとって嵐は「初恋の人」です。

 





しかし、そのままファンになりましたと言えば嘘になってしまいます。
この時わたしは高校3年生、大学受験を控えていました。きっとこのまま感情に任せているとどこまでもこの人たちに着いて行きたくなる、そう危機感を持ち、翌年大学に合格するまでは一切この気持ちもCDを買うなどの行動も封印すると誓い、本当にそうしました。
 
そして翌年、希望の大学に無事合格し、晴れて嵐ファンになりました。
しかし、その年というのが2008年。嵐は人気が爆発し、国立競技場でライブをする大物アーティストへと駆け上がっていました。ツアーの倍率は恐ろしいものになっていました。
わたしが嵐とともに時を刻めるのはこれから、というときに、このタイミングで。
初めて「この人たちを応援したい」という気持ちをもったあの日を思い出すと、彼らがこうして大スターになったことは心から嬉しかったです。
しかし、それと同時に、初めて彼らのつくるライブで彼らに会えると信じていたのに、その可能性が賭けのようなものになっているという事実に、正直ショックを受けました。

そして、わたしに追い打ちをかけたことが。全国の嵐ファンの人々の声を、色々なSNSで聞いていると、「やっとここまでこれたね」「嵐についてきてよかった」「これからもっと大きな世界を一緒に見ていきたい」…そういった言葉が並んでいました。

呆然としました。当然のことなのに、改めて突きつけられた現実。


そうか、この人たちは、ずっと彼らを応援してきた。この人たちが、彼らを大きくした。
わたしなんかが、まるで流行に乗っかったように彼らを応援することで、この人たちはどんな気持ちになるんだろう。わたしなんかに、応援する資格はあるのだろうか。
結局そのまま、わたしはFC入会などせず、テレビでのみ彼らを追いかける毎日でした。そして、翌年は、彼らの10周年。そのモヤモヤは、ますます大きなものとなりました。

感謝カンゲキ雨嵐で始まったライブ。
5×10に込められた、感謝の想い。
彼らの涙、ファンの涙。


10年という、彼らとファンが紡いできた時間。


…わたしは、そのどこにも、介入する隙間などない。


1mmもない。




この頃からでしょうか、「新規」「古株」という言葉も生まれ始め、両者を隔てる高い壁のようなものも存在し始めました。

このまま、茶の間ファンを続けようか。そう決めそうになるわたしの背中を押してくれたのは、他でもない、彼ら自身でした。彼らのライブDVD。彼らのCD。聴いて、見ているうちに、渦巻く色んな感情は置いておいて、自分の中に湧き上がってくるただ一つの純粋無垢な気持ち、「嵐に会いたい」。


その気持ちが抑えきれなくなったとき、わたしはFC入会の振込用紙を」手にしていました。2010年のことでした。そしてその年初めて、「賭け」のように当選が難しくなった嵐のライブに、申し込むことを決めたのでした。

わたしが入ることによって、ずっと応援してきた人たちが、嵐とともにずっと歩んできた人たちが、入れないかもしれない。そう考えると決意が揺らぎました。

でも、ファンとして刻んできた、





「嵐に会いたい」というこの想いは、
わたしだって、
その人たちとおんなじだ。







そんな想いが通じたのでしょうか。
初めて申し込んだそのライブに、
わたしは当選しました。
 

震える手でダイヤルを押した、あの時の緊張感。
当選が信じられなくて、何度も何度も確認したこと。
ライブ当日の青い空と澄んだ空気。
ワクワクしながらグッズ列に並んだあの時の気持ち。
会場が暗くなり、movin’ onが流れたあの瞬間。
憧れ続けた大好きな人たちが目の前にいる感動。
 




わたしは一生忘れません。
 




 
先ほども書きましたが、ファンの間では「新規」「古株」という認識が存在するのが現状です(区切りは様々ですが、2005、2008、2010などが多く見られる気がします)。

わたし自身、「いつから嵐が好きなの?」と聞かれると非常に困ります。「デビュー当時から」「2005年から」「2007年から」「2008年から」…そのどれもが正解であり、不正解であるような気がします。

わたしは「古株」ではないわけではありませんが、応援し始めた時期から考えると「新規」なのだと思います。

2008年に嵐を追いかけ始めてから、昔の曲(シングルは全部知っていたので、アルバム、カップリング等)は全部勉強して、知らない曲はないですし、ライブDVDも全て見ました。
だから、「古株」の人たちの「昔の曲を今歌って欲しい」「あの頃のギスギスした感じが懐かしい」などの話題にも、着いて行けますし、共感もできます。「世間に嵐の良さが認められて嬉しい」とも思います。実際、当時から彼らに好意を持っていたことは事実ですし…。
 


嵐の人気は頂点と呼べるほどまで到達し、今に至ります。


もちろんどちらかというと「新規」寄りではありますが、わたしは「古株」と「新規」の両面を持つ立場です。
 
最近嵐を好きになったばかりで、昔の曲など全然知らないのにアラフェスに当選する「新規」のファンを見て「新規は…」と言いたくなる「古株」の人たちの気持ちも痛いほどわかります。
実際、新規ファンの投票数が相当数を占めるため、ランクインした曲に昔の曲はほとんどありませんでした(「テ・アゲロ」や「15th Moon」、「君は少しも悪くない」などの、当時の彼らにとっていわゆる「背伸びソング」だった曲を、大人になって色気の出た今の嵐に歌って欲しい!と何度友人と話したかわかりません)。
これは「古株」の人たちに近い感情だと思っています。
 
しかし、応援し始めた時期に関して言えば、わたしは新規です。
「あの頃」の彼らのありのままの魅力や、
売れなかった時代も彼らをずっと信じて着いてきた一途な気持ちや、
10周年で分かち合った想いや…
そういったことは、理解はできても、
2008の人気爆発の年まで、リアルタイムで彼らと共に時を刻んでこなかったわたしに、
本当に共感することなど永遠にできないのだと思うと、
悲しいような、寂しいような、悔しいような、後悔のような、苦しいような…
あまり長時間は心を見つめていられないような耐えがたい気持ちになります。
手元の銀色の会員証(嵐は10周年を機に会員証が変わりました)を見て、
いったい何度嘆いたかわかりません。
 
 




両方の感情を整理して。
これは自分を擁護することになるかもしれませんが、
「好きになったのが早い遅いは関係ない。」
「早い段階で好きになってたんだから偉い、立場が上だ、なんてことはない。」
これがわたしの意見です(ありきたりすぎる意見かもしれませんし、反論も多くあることは承知しております)。
だから、「2010年のMonsterの頃から…」「去年嵐を好きになって、まだ全然勉強不足で…」という人たちにも、
蔑むような感覚を覚えたりなど一切しませんし、不快感も持ちません。
それどころか、「ようこそ!」と両手を広げて大歓迎したい気持ちです。

過去を無理に知れとも思いません。わたしのように、つらい感情をもつことになるかもしれませんし(「もっと早く好きになっていれば…」は、ファンにはつきものの感情とも言えますが)。
ただ、最低限、曲については、「彼らがどんな曲を歌ってきたか」ということだけは、流し聞きでもいいから、知ってほしいなと思う気持ちはあります。
 
わたしがジャニーズの世界にこんにちはした経緯、嵐というグループに感じた魅力と葛藤、古株と新規についてのあくまで「新規」寄りの中間の立場からの意見を、つらつらと書かせていただきました。



しかし、誰か1人を好きになることに抵抗のあったわたしは、2007に嵐という「グループが好き」と認めたものの、好きなメンバー、いわゆる「担当」を自覚するまでには時間がかかり。
わたしが二宮和也という人の海に溺れるまで、についてはまた別の機会に書かせていただきます。