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しあわせのかけら

おたくとお片づけと手作り

二宮和也というひと。

嵐のファンとしての一歩を踏み出すに至った経緯については、前回書かせていただきました。
今回は、わたしが、メンバーの中でも、二宮くんに惹かれていった話をしたいと思います。



2008年に嵐を追いかけ始めてからしばらく、わたしはいわゆる「箱推し」の形で応援していました。
みんな大好きだけれど、ドラマにメンバーが出演すると、そのメンバーに少し心が傾く、という感じで、
「今は○○が好きかな〜」などと言っていたのを覚えています。
もちろん、魔王が始まったその夏には、大野くんと答えていました。



そして、そうこうしているうちに、2010年になりました。
秋、二宮くんが主演に決まった映画「大奥」を見に行きました。
そして同時期、同じく二宮くんが主演のドラマ、「フリーター、家を買う。」が始まり、毎週楽しみに見ていました。

わたしは例によって、「今は二宮くんたくさん見てるから二宮くんが好き!」と言っていました。
そしてドラマが終わり、二宮くん!な時期も終わり…徐々に熱量は落ち着いて…



の、はずが。







終わらない。









歌番組でも、
バラエティーでも、
わたしの目はいつも二宮くんを捉えている。








そして気付いたのです。
これまでを振り返ってみても、
その時その時でドラマや映画に出ているメンバーに沸きながらも、
二宮くんに関しては、
あの時どうだったか、あの時はどうだったかという記憶が、鮮明にある。



わたしの目はとっくの昔に、
二宮くんを捉え続けていたのではないか。



それでもわたしの中で、誰かひとりを好きになるということは、とても大きいことで、
もちろん相手はアイドルで、
ただ一方的に推しを決めるだけのことではあるのはわかっていたのですが、
なんだか恥ずかしいような、
そして、1番を決めるのがなんかいけないような、
そういったモヤモヤが拭えず…
そのまま、初めてのライブを迎えたのでした。

「今は二宮くんの時期だから、初めてのライブでは二宮くんのうちわを持つことにする!」
そう言って買った二宮くんのうちわ。苦し紛れに、「今は二宮くんの時期だから」二宮くんのうちわにするんだと言っていました。


そして初めて嵐の5人本人を目の前にしたライブ、
気づけば二宮くんの姿をずっと追っていた3時間。










初めてこの目で彼らを見ることができた感動…その反動といいますか、ロスは大変ひどいものでした。
でもそれは、
もちろん嵐というグループに向けられていましたが、



明らかにわたしの熱量の大部分は、
二宮和也というひとに向けられていました。


水野祐之進でも、武誠治でもない、
二宮和也というひとに。








初めてこの目で見た二宮くんは、
彼にしかない独特のオーラをまとっていて、
特徴のある伸びのある声、
ちょっと正規の動きとは異なる、彼なりのアレンジが加えられたようなしなやかなダンス、
曲の雰囲気を一瞬で表現する目線、
彼なりの思考がふんだんに取り入れられた挨拶、
そのどれもが魅力的でした。






冷めることのない二宮和也というひとへの興味は、
もうわたしが彼のファンになってしまっているということを認めさせるのに十分なものでした。











ジャニーズのファンの中では有名な「担当」というワード。
わたしはその時まで正直、
身をもってその概念をきちんと理解していたわけではありませんでした。

しかし、自分の心に素直になったあの瞬間、
わたしは、二宮担としての一歩を踏み出したのでした。



先ほども書きましたが、
ほんとうはとっくに二宮担だったのだと思います。
しかし、わたしは嵐というグループを応援するまでにも時間がかかった。
だからその中で、誰かの「担当」になるのにも、ある程度の時間が必要となってしまった。
後悔はもちろんあります。
でも、ゆっくりしか進めなかったこの歩みも、否定はしないようにしています。








それから数年経ち、ジャニーズの世界で新たな出会いをすることになり、掛け持ちと担当ということについて深く考える時が来ますが、
その話についてはまたさせていただきます。
今回は最後に少し、今でも大好きな二宮くんのことを話して終わりにします。











彼ほど唯一無二な人はいないと思うんです。もちろん、人は誰でも代わりなんていないかけがえのない存在ですが、彼に関しては、似たような人などこの世に1人も存在しないのではないかと思わせるほどの、独特な世界観。
二宮くんファンの人の多くは、彼のこの独特な考え方に惹かれているように思います。

二宮くんはかつて、雑誌のインタビューで、「たとえ結婚して、オヤジになっても、きっと自分はこうありたいというオヤジで居ようとするから、結局本当の自分を見る人は居ないと思う」といった話をしていました。


きっと、「本当の二宮くん」は彼自身にもわからない(というより恐らく、彼のおびただしい数の感覚のアンテナにひっかかってきた、幼い頃からこれまでの様々な出来事のせいで、知らぬ間に閉じ込めて二度と開かなくなったドアが無数にあり、その開け方は彼自身にもわからないし、鍵の在り処すらも忘れてしまっている)というのが真実ではないかとわたしは思います。






「本当はつらいことがたくさんあったんでしょう?そうやって飄々としていることで、自分を守ろうとしてるんでしょう?人を信じられないんでしょう?本当の自分を見せるのが怖いんでしょう?」






そういう問いかけを(直接話などできる機会があるはずはありませんが)二宮くんにしたとしても、




「あはは、さぁ〜どうだろうね〜」といつもの調子で流されるでしょう。
そして、




「そもそもさぁ、本当の自分なんて知ってる人いるの?っていうかそんなのあるの〜?」




と、話題を逸らされるでしょう。








きっとそういう生き方はかつて彼の繊細な心を守る鎧だったのかもしれません。しかしじきに、そういう本当の自分とか偽りの自分とかいう概念すらバカバカしくなって、
きっと、とうにやめてしまった…






彼は人間が一生かけて上るらせん階段をすでに全て上ってしまい、
「へぇー、こんなになってるんだ」と俯瞰しているのではないかと感じることがあります。





虚構、偽り、嘘…… そういった言葉が、二宮くんには誰よりも似合う気がして、
だから、Gimmick Gameはまさに二宮くんな曲だと思うし、
嵐の曲でも色っぽいパートが二宮くんに割り当てられることが多くてズギュンッてきます。


でも、
嘘ばっかり言うし、ひねくれたことも言うし、はぐらかすし、決して誰にも本当の顔を見せない人だけど、






Blast宮城で歌う彼の瞳、
誰も気づかないようなところに気がつき、さりげなくかける優しさ、
そういう一瞬一瞬に、彼の本当の心が垣間見える気がして、





それこそが本当の姿なんじゃないかって思ってしまうんです。








本当のほんとうは、きっと一生わからない。
それでもいい。
嘘だらけのあなたの世界で、
はぐらかされたり、時には泣かされたりしながらも心地よく泳ぎ、
ふっと見上げると、
わたしたちを見つめるあなたの目はあまりにも優しくて、
その瞬間は本当のあなたを見ている気がする。
感動して問いかけると、さっきのが幻だったのかなってくらいに、またぜんぜん違う表情をしてる。
そんなあなたの横顔にまた見惚れてしまう。
だからわたしたちは一生二宮担をやめられないんだ。