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夢の途中

だいすきなひとたちにしあわせがふりそそぎますように。

恋をはじめまして〜神山くんとの出会いと担当制度

以前、いつか書きたいと言い続けてきたことについて、そろそろ…と思い、書かせていただきたいと思います。



おそらく多くの人が頭を悩ませているであろう問題が、担当問題だと思います。

そこには大きく分けて、二つの道が存在していると思います。






担当を1人に決めるか。

1人に決めず、好きでたまらない人のことを全員「担当」と呼ぶか。









わたしは数年間、担当という人を決めずに、ファンをやってきました。
言うなら、嵐というグループのファンであったので、嵐担とは言えるのかもしれませんが、その中で誰のファン、というものは決めずにいました。

しかし、以前書かせていただいたように、二宮くんという人に惚れ込んでいる自分に気づいたある日から、二宮担としての一歩を踏み出すことになり、
おたくをやる上で、二宮担というのは自分のアイデンティティになりました。



数年の間、嵐担として、二宮担として、担当問題の悩みというものには無縁の世界で生きてきました。


もちろん、嵐盲目時代もありましたが、しばらくして他のジャニーズのグループにも興味を持ち始めましたし、
中でも関ジャニ∞をはじめとする関西のメンバーの面白さやアツさが好きになり、茶の間ではありましたが楽しませてもらってました。




ただし、あくまで、二宮担としてのアイデンティティは決して揺るぎないものであり、

その土台の上で、その大前提で、
色々なグループにも触れるという毎日を過ごしておりました。


二宮くんのいる場所は、自分の心の中で絶対に他の誰も入って来れない場所である確信がありましたし、
そもそもそんな自分にとって当然のことを考えすらしない毎日でした。
ある人に出会うまでは、そうでした。











ある日、少年倶楽部を見ていた時、その瞬間は訪れました。


わたしは、関西Jr.出身のジャニーズWESTというグループを見ながら、
もともと重岡くんが好きだった自分が、
違う人を目で追っているのに気がつきました。




なんでだろう。
気になってる。

なんでこんなに気になるんだろう。








ジャニ勉の関西Jr.のコーナーや、雑誌で時々目にしていた彼を、
わたしは今までそんなに気にすることはありませんでした。







でもこの時、猛烈に気になって。

仕事の時間になったので、モヤモヤを抱えたまま出かけましたが、
帰ってきたら即、彼のことを調べまくりました。






そんな彼の名は、
神山智洋くん。






正直、全然タイプではなかったんです。なぜなら、ものすごく派手だったから…
奇抜な髪色や、たくさんのアクセサリーや、そういうのは本当好きじゃなくて、ただ「チャラい」って思ってしまう方だった。

でも、そんなところを除いた何かに、彼の持つ本質的な何かに、
突然ビビッと強く引きつけられてしまった(と、今はそう思ってます。そして、奇抜な髪色もアクセフル装備も、今となっては大好きになりました)。



調べれば調べるほど、彼は沼でした。
全然チャラくなんかなかった。

群を抜く努力家で、

気配りの人で、

歌にダンスに各所に才能があって、

とびっきりの笑顔を見せる人だった。






それからわずか二週間程度で、
彼の出演作品、これまでの少年倶楽部で披露されたものを、一気に見ました。




見れば見るほど、畳み掛けるような彼の才能の大放出に、大好きの気持ちはもうブレーキなんてきかない状態まで加速していました。




気づけば、頭の中はほとんど神山くんで満たされるようになってきて。











正直、二宮くんがいる場所のドアを叩く人が出てくる未来なんて考えてもみなかった。


でも、日々神山くんで満たされていく心に、いつしか疑問を持つように。


もちろん、
「嵐はもう見てきてる時間が長いからだ。」
そう言ってごまかしごまかししてきたんだけれども。



2014年は引っ越しと転職が重なって本当にバタバタしていて、遠征をたくさんできるような状況ではなかったから、2015年は自分の足で神山くんを見に行きたい。


そう思っていたところに届いた、
1stコンサート、なにわ侍団五郎一座、ブラッドブラザースという立て続けの嬉しい知らせ。


迷うことなく申し込みと飛行機の手配を済ませた。


そして迎えた2015年1月3日。横浜アリーナ



初めて生で見た神山くんは想像や覚悟を軽々と超えるレベルでかっこよくて、可愛くて、キラキラしていて。


歌、ダンス、見せる表情、その全てがわたしの中の大好きの定義と完全に一致していて、ぽろぽろと何かが崩れていくような気がした。



呆然としたり号泣したり、とにかく目まぐるしく感情が渦を巻いて。



帰ってきてからも、神山くんのたくさんの瞬間が忘れられなくて、
帰ってきてからもずっと泣きそうになっていました。


そんなわたしに、相方ちゃんが見せてくれたのが、二宮くんから担降りしたという人のブログ。


そこに綴られていたのは、
次第に別の人に惹かれる心、
嵐から離れる心に気づいてゆく状況とともに、そのつらさ、

そして、






まだ二宮くんのことがどれほど好きかということ。

その上で、担降りという決断をする思い。





相手は違えど、
その状況や二宮くんに対する思いがわたし自身とほぼ完全に一致していました。


読んだ瞬間心をぎゅっとつぶされたような気持ちになりました。

それは、



「わたしはもう担降りを宣言してもいい、すべきほどの状況にあるのかもしれない」



という事実に気づかされたということと、




「だとしたら、同じように、同じようなつらさを抱えながら、二宮くんという大好きな人から離れなければならない」



という事実を受け入れられるのかということ。

その両方から来ていたと思います。



そんなわたしに相方ちゃん(彼女はたくさん担当がいるタイプの人)が言ってくれたのが、





「わたしみたいに、『みんな大好き』でいいんだよ。」












という言葉でした。
これまで直面したことのなかった思いに戸惑っていましたが、
この言葉で一瞬、スッと視界が開けたような気がして、

「とりあえず、このままの状況を続けてみようかな、掛け持ちを名乗っていようかな」


そうして、二宮担を続けたまま、神山担を名乗ることを決めました。








少し話はそれますが、
神山くんのことを元々詳しくは知らなかったわたしは、Jr.時代のことを一気に調べたとき、彼の生きてきた軌跡を知って、夜中まで涙が止まらなくなった。

なんで、こんな人がジャニーズに居たことにもっと興味を持たなかったんだろう。

その後悔は、今後どんなに神山くんを応援する時間が長くなったとしても埋められないもので。


デビューしてから神山くんという人におちたわたしにとって、
あのカウコンや、
2014年2月5日という日、
当事者として存在していなかったことは、
どんなに月日が流れて、古株の仲間入りをすることになっても、
永遠に消えることのない自分の中での負い目です。



嵐は、人気が爆発した2008年を一つの区切りとして、ファンの中では古株新規が認識されている気がします。
だから、どんなに優しい言葉をかけてもらったとしても、2008より後から応援しているわたしは永遠に新規にしかなれないと思っているし、
銀色の会員証はそのことの刻印だと思っています。


それをWESTで考えてみると、
デビュー前かデビュー後か、
そこなのではないかと思っていて。



正直、
「またこんな思い…」
そう思ってしまった。

なぜいつも自分はそうなのか。

大好きな人が、悩んでいたり、つらかったりしている時にファンでいれない。それは完全に独りよがりな、勝手な自分の中の問題であることはわかっています。


でも、


神山くんが1番つらい景色を見ていたときに、同じ景色を見れていなかった。
神山くんが1番つらいときに、同じ気持ちで居なかった。


この事実は、
神山くんをこれからいくら長い時間見ていって、
神山くんといくら同じ景色を見ていっても、
絶対に埋められない。

神山くんを好きになってゆくまでに、何度となくその葛藤とモヤモヤがあった。


だから、
デビュー後に神山くんを好きになったわたしは、永遠に新規です。












話を戻すのですが、
神山くんへの思いは、
舞台団五郎一座、それから、初の外部舞台ブラッドブラザースを観て、
より一層大きなものとなりました。


この人は本当にすごい。

この人の可能性は無限だ。





二宮くんに惹かれた1番の理由。

わたしたちは、
世の中の、生きていくことの、色んな切なさや儚さを避けられない。
二宮くんはそんなものを全て理解し、一周まわって俯瞰しているような気がする。

彼の笑顔、その瞳の中に見えるものが、彼の本当の心で、それはすごく優しくて儚くてきれい。

そして、彼は表情で演技する人。

勝手に自分で感じ取っているだけかもしれませんが、ここにあると思っていて。




もちろん、年齢もまだ若いですし、一周まわって俯瞰、とまでは言えないかもしれませんが、

大勢の中にいる時、しきりに気を遣っているように見える神山くん、
舞台で見せてくれた、あまりにリアルな切なく儚い表情、
時折見せる寂しそうな笑顔、
表情で曲を作り上げる世界観。


そういった、神山くんの織りなすたくさんの瞬間に、
似たものを感じ、惹かれるべくして神山くんに惹かれたのかもしれないと思うようになりました。







しばらくは掛け持ちを安定して続けていたわたしに、また気持ちが揺らぐ瞬間が訪れたのは、夏のことでした。


その日は嵐の櫻井くんが司会の、music dayの放送があり、嵐はもちろん、ジャニーズWESTも出るということで、楽しみにしていました。



そんな時、こんな声をちらほら見かけたのでした。









「ずっと他人事で、羨ましくてたまらなかった。夢にまで見たこの舞台に彼らが立ってるなんて。」













それを見たわたしは、衝撃を受けました。





わたしは嵐担として、どちらかというともうこの光景に慣れていた。




だから、わぁ、ジャニーズWESTも出るんだ!共演してくれるんだ!
そんな気持ちだった。










あぁ、そうか、昔からのファンの人たちはずっと、何があっても、この人たちを信じ必死についてきて、
この人たちと同じ世界を見てきたんだ。


だからこそ、また彼らと見れる新しい景色の1ページが刻まれることを、こんなに喜んでいるんだ。







わたしはやっぱり、同じ気持ちになんてなれないんだ。











この時改めて、











この人を唯一の担当にしたい。



この人だけについていきたい。












そういう思いが心底理解できて、むしろ自分の中からついにわいてきてしまった気がしたんです。






しかも、皮肉なことに、ジャニーズシャッフルメドレーで、二宮くんと神山くんは同じチームだった。



ウィークエンダーを踊る2人。
自分の視線が主に神山くんに向けられていることに気づいた。












それからしばらくは、担当問題についての考えは、一切やめました。
空白の時間…というよりは、
箱推ししていた関西Jr.の皆さんの舞台に行ったり、わりと、好きな人たちを色々応援するようなおたく生活をしていました。



そうすることで、別に応援したくなるような人に出会ったり、今まで好きだった人の更なる魅力を知ったり、おたくとして色んな経験をしたと思います(新たな問題に直面したりもしました)…


年の瀬には、奇跡的に当選でき、嵐の現場にも行かせていただけて。











そして、改めて、ずっと棚に上げていた担当問題を振り返ってみました。




ひとつ、確かなことは、

やっぱり、心の底から湧き出るほど二宮和也という人が好きで、
この好きは、担降りなどできるような代物ではないということ。


それゆえ、
他に自分の好きになる人は、
どこか一部に二宮和也の影を自分が感じ取った(考え方、ダンス、笑顔など、様々)人なのだということ。


(こう言うと、神山くんをはじめその他のジャニーズの方が二宮くんの二番煎じみたいな言い方に取られるかもしれませんが、そういうことではありません。
あくまで、自分自身のレーダーの話です。)


だから、二宮くんの担当を降りることは、考えられないっていうのがはっきり出た答えでした。



でも、果たして「どっちを取るか」と言われて即答できるかというと、

かけてきた時間の長さという、そもそもの基準が違うから、「はかれない」が正解なのかなとも。


もし神山くんに先に出会っていたら二宮くんのポジションが神山くんだったかもしれないことは否定も肯定もできないわけで。






どちらの人にも、惹かれるべくして惹かれた。
だから、二宮くんからは降りられないことと合わせて、この二つが、紛れもない真実としてわかったことでした。



だから天秤にかけることはやめて、担当を一人に決めるタイプの人からしたら邪道かもしれないけれど、
東では二宮くん、西では神山くん、
これを続けることに決めました。



でもホームは嵐だし、前提であり土台であるのは二宮くんだということは、たぶん何があっても変わらない。












最後に、自分の話は除いた上で考察してみると、
担当を一人に決める理由としては、
大きく分けて、

•気持ち的に(もしくは時間と金銭的にという場合も)一人の人を追いかけるので精一杯で、二人以上なんてキャパオーバーする。

というものと、

•一人の人だけを真剣に追いかけて、唯一の担当にしたいから。


というものがあるのかなと思います。




前者の場合、できる範囲でどちらも全力で追いかけてみて、
あるいは本能の向くままに、その時その時でどちらかに比重を置いてみて、
自分の気持ちの変化を見るという方法が1番いいのかなと思う。
それで出たのが「どっちも好き」という答えなら、立派に掛け持ちを名乗ってもいいんじゃないかって思うんです。



二人、あるいはそれ以上の子どもを平等に愛し、平等にその愛情を表現できる母親がちゃんといるように、
人の気持ちって必ずしも分散しちゃうものじゃないと思う。





後者の場合、
この人を唯一の担当にしたい、という思いに折り合いをつけるのがなかなか大変だと思います。

ことに、大きなグループのメンバーとJr.の掛け持ちなど、
こういう場合の心の対処は大変だと思います。

でも、これもそもそも基準があまりに違いすぎて、天秤にはかけられないものなのではないか。

あとは、自分の気持ちの問題なのではないかって思います。
だから、全力で熱をかけて応援する方を「担当」と呼ぶことにして、もう1人の人も、降りたわけではない(という中途半端な状態)でいいのではないかと思うんです。


いつか自然に気持ちが薄れたり、
好きではあるけれど、もう熱をかけて応援する気持ちからは卒業してるな、という瞬間が来たら、
自然に担降りすればいい。
来なければ、宙ぶらりんのまま居て、無理やりケリをつけるようなことをする必要はないのかな。
わたしはこう思いました。

そうしたらきっと、前の担当を追いかけていたときのことは、本当に自然に過去のことになって、
キラキラした思い出になって、
全てが受け入れられるんじゃないかって思います。


長くなりましたが、わたし自身の体験を交えた考察でした。
ここまで読んでいただいたのに、
結局それだけかよ、っていう結論にしかなっていなかったらすみません。


また、新規についてのお話はあくまで自分自身が自分について考えていることなので、
他の方をたたく意図は全くありませんし、同じように考えるべきだとなども思っておりません。