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しあわせのかけら

おたくとお片づけと手作り

うちわを持つ意味。

わたしのじゃにおた現場デビューは、
松竹座でもホールでもアリーナでもなく、
多くのグループが目標とする、ドームでした。

それも、ファンクラブ数最大を誇る嵐のライブでした。

それまでの経緯や葛藤は前に書いたので、省略するのですが、
とにかく当選から当日を迎えるまでの心境を思い返すと、

初めて嵐を生で見ることができる興奮と、
どんな席でもいいから入れるだけで感謝という気持ち。

今回は、この時から今までを振り返って、
うちわとファンサについて考えてみました。



初めてうちわを持ったのは、そのライブの時です。
スタンドの中列だったので、リフターの時にうちわが視界に入るかどうか、くらいの距離。
この時は、初めてのコンサートだけれど手作りのうちわは作らず、二宮くんのジャンボうちわを買って持ちました。

どんな気持ちだったかなぁ、そんなことを思い出していましたが、
当時はまだ二宮担を名乗っていたわけではないので、「大好きな嵐の中で、今一番好きなメンバー」として二宮くんのうちわを買ったのを覚えています(後から思い返すと、この時気づいてないだけで、二宮くんを好きな気持ちは一時的なものではなく、もう担当状態だったのですが)。

そして、それは見てもらいたいという気持ちというよりは、
「大好きな人のうちわを持って、3時間弱の夢の時間を過ごしたい!」というただのこちら側の一方的な気持ち、自分の問題でしかなかったなと。

そして、ライブを終えて、晴れて二宮担になったわけですが、その後も、「入れて奇跡」という気持ちは、嵐のありがたすぎる状況が続くにつれて増すばかりで(実際入れない年もありました)。

うちわに関しては、その後手作りのうちわも作りました。
でも、心境としては特に変化はなくて。
見てもらおうなんてほとんど思わない、こちら側が二宮くんのうちわを持ちたいだけ。
そして、今しかない、次はいつ見れるかもわからない、目の前で最高にキラキラ輝く二宮くんの全てを余すとこなく見られればもうそれ以上何も望まない。

自担ロックオン型なので、基本二宮くんをずっと追っていましたが、
何と言っても素晴らしいステージ構成と演出の嵐のライブなので、時折双眼鏡を外しては、映像やペンライトの海や、そういうものに目をやって、幸せを噛み締める…  
わたしにとってライブはそういうもので、言葉は悪いかもしれませんがうちわの意味もただの自己満足でした。
それで最高に幸せだったんです。

ファンサなんてもってのほかで、もらおうともしなければ特別欲しいとも思わなかったです。
東京からわざわざ福岡まで来てくれて、3時間近くも全力でパフォーマンスしてくれて、
一緒にこの空間を共有してくれることが、
最高のファンサで、それだけでいいって思っていました。


それからしばらく経って、関ジャニ∞のアリーナコンサートに行きました。
相方ちゃんがアリーナ席を当ててくれたので、すごく近くでメンバーを見ることができるという興奮がさすがに大きくなりましたが、
この時も、うちわに関しては一番好きな人(関ジャニ∞では大倉くんが好きです)のうちわを持ちたいからという一方的な気持ちがほとんどだったように思います。

実際、大倉くんが近くに来た時には相方ちゃんと大盛り上がりしましたが、残念ながらちょうどお尻を向けられてしまって… 
もちろん残念には思いましたが、何らかの反応をもらったりすることが目的ではなかったので、
それでひどく落ち込むとか何もなくて、うちわを見てくれなかったことも特に気にならなくて。



状況が変わったのは、神山くんの現場に行くことになってから。
以前から茶の間で見てはいたのですが、学生時代は少ないバイト代で現場に通うこともできず、福岡に来てくれるものに行かせてもらう、というおたく生活でした。

わたしの性格上「好きになったらとことんハマる」やつだと思ったので、
東京にも松竹座にも行けないわたしは、
Jr.には手を出さない、みたいなルールを自分で決めてしまっていたのかもしれません。
諦めが悪いので、見に行けないものを好きになってしまうとつらくなってしまうんですね。。

ちょうど、福岡以外の現場に自由に行けるような環境になったのを皮切りに、
神山くんの沼にはまるスピードは、
それはそれは恐ろしいものでした(これも以前書いたので省略します)。

そして、神山くんのうちわを作ろう、という時が来たのですが、心境が今までと明らかに違う。


「見てもらいたい」


という気持ちが芽生えてしまったことに気づいたのでした。


でもそれは、わたしを見てほしいとかファンサが欲しいとかそういうものではなく、

「神山くんのファンがここにいるよ!応援してるよ!」っていうことを伝えたいという強い気持ちでした。

だから、自分を見て欲しいわけではなくメッセージを伝えたいという思いなので、うちわで顔隠して応援してもいいくらいのやつです(本当にそうしたらコンサート見れないんでもちろんしませんが!笑)。

それでも、これまで一方的な自己完結でうちわを持っていたのが、
自分の感情が、
「うちわを見て欲しい」という、
向こう側の気持ちにも触れてしまったことが、自分にとってはなかなか衝撃的でした。


そして、実際に現場に行って、また新しい感情と出会ってしまったのでした。

神ちゃんがガッツリ他のファンの子にリアクションしているところを一瞬見てしまって、ちょっとだけグサッと刺さるような気持ちになった。
そしてほんのしばらく、真っ暗になった。


アイドルはみんなのものであって、そんな一つひとつに嫉妬のような感情を抱くのは違うっていうのがわたしの考えで、
これまで1ミリもそんな気持ちを感じてはいなかった。


もちろん、その「グサッ」は一瞬で消え去って、残りの99%は幸せでした。
最高のパフォーマンスを見せてくれる神ちゃんのことがより一層好きになったし、神ちゃんのことも担当として名乗りたいって心から思った。
現場の楽しみ方は、今までと変わらなかった。


でも初めて、
謎の闇のような気持ちを一瞬でも持ってしまったことがすごく気になってしまって、その1%のせいで、いつも100%幸せだった現場が明らかに違うものになってしまって。
うちわも、「視界に入れてくれたかな」って気になる気持ちが一筋あった。


なんでわたしにはファンサしてくれなかったのとか、そんな類の気持ちじゃないんです。
でも、ほんの一瞬心が曇ってしまった原因がちゃんとわからなくて。
これはよくあることなのかもしれませんが、それまでそういうものをかけらも感じないタイプのおたくだったので、自分自身かなり動揺してしまいました。

でもやっぱり、
歌もダンスも全力で魅せてくれる神ちゃんが大好きだし、
そんな自分勝手な一瞬の感情に巻き込まれることなく神ちゃんを追いかけたい、という結論が出たのでした。

ただこの時わたしにとってうちわは、「自分のアイデンティティ的なもの」から、
「ここにファンがいます、というメッセージを伝えるもの」
に変化したように思います。




「あなたのファンがまた一人ここにいますよ」
という匿名のメッセージを伝えられれば。

それ以上でも以下でもない。
あくまでも匿名の。
「わたしを見て」ではないし、アイドル側にリアクションをもらうためのものではない。
だから、いわゆるファンサうちわというものは持ったことがありません。

あの謎のグサッときた気持ちは忘れられないけれど、
だからといって自分に同じようにして欲しいとか、自分にもリアクションが欲しいとかそういう感情は特にわきませんでした。



そんなこんなでズブズブと関西の沼に足を踏み入れ、Jr.にもどんどん詳しくなってゆき。次第に神ちゃんとともに熱を入れて応援するようになっていきました。

でも、ずっと変わらぬスタンスでおたくを続け現場を重ねて来たのですが、


10年選手になろうかとするくらいのじゃにおた人生で初めて、個人ファンサをもらってしまった。。

結構離れていたし、
名前しか書いていない「ファンここにいるよ」うちわでしかなかったのですが、
見つけてくれて、手振ったりしてくれたんですね。。

時が止まりましたね。。
こんなことってあるのか…
こんな世界存在するのか…


ほんの数秒であっても、
大勢の人の中で、アイドルの視界の割と中心に自分が入って、
ほぼ自分だけにその数秒が使われて、
リアクションが与えられるなんて…あっていいのか…
あのキュートな顔と仕草はその数秒間は紛れもなく自分(だけでなくても、少なくとも中心)に向けられたもので…

頭抱…。


あれだけファンサいらないを言い続けていたわたしだったけれど、

正直に。
ものすごく嬉しい、ものすごく幸せ。

うわ〜、こういうことなのか、
ファンサもらった幸せ〜って… 

そう言ってわいてる人たちを、
こういう幸せの形もあるよな、っていう見方(否定していたわけではありません)をしていたけれど、
そりゃああああ幸せだ!!!!!わかる!!!!!!
と、心底実感…


と、しばらくものすごく(いい意味で)ダメージを受けていたのですが。

その後の公演では、席がかなり後列だったので、もう同じような瞬間が訪れることは望めなかったのですが、
それでも、落ち込んだり無意味さを感じることはなかったです。
やはり、自分の中で大切にしてきたことに、変わりはなくて。

もちろんファンサは嬉しいです。
これはまぎれもない事実としてさすがに認めます。だから、もう「全くいらない」とはっきり言うことはできないのかもしれない。

でも、やっぱりわたしが一番大切にしたいことは、
「パフォーマンスを余すことなく見る」ということで、これがイコール一番幸せを感じられる事象であることには何ら変わりはありません。



そして、今後もやはり、わたしにとってうちわの一番の目的は匿名のメッセージを伝えることなんだろうな。
「わたし」として認識してもらうことではない。




ところで、松竹座では、うちわ禁止になってしまいましたね。
でも一番の目的であるパフォーマンスに集中できるので、わたしとしては、これはこれでよかったのかなと。


ファンサをもらうことこそ全てで現場に行くこと、
良い席で見ることにしか意味がないと思うこと、
そういうことも、その人なりの応援の仕方で、全く否定することはできないです。

もし現場デビューがドームじゃなかったら、
嵐がこんな状況になってから応援し始めたのではなかったら、
わたしももしかしたらちょっと違ったのかもしれない。

でもこれからも、自分は自分で、自分の価値観を大切にしておたくを続けられたらなって思います。


p.s.
同じように、アイドル側も人間である以上、
うちわやファンサについての考え方は個人個人で違うはず。

うちわのメッセージまでしっかり読む、
できるだけ多くのうちわを拾って、リアクションもできるだけ多くする、
うちわよりもパフォーマンスに集中する、
どのファンにも分け隔てなく手を振る、

そんな、どれもが正解であり答えなどない。
ただ一つ思うのが、そういったファンサスタイルに、合う合わないはあるのかなと。
例えば、ファンサを絶対欲しいタイプのファンが、全くしないタイプのアイドルを追いかけ続けるのは、難しいのかもしれない。

自担に対して、他は全部好きなのにファンサスタイルだけが合わない、という場合はものすごくつらいのではないかと。

アイドル側のファンへの気持ちの表現の仕方、ファン側のアイドルに求めるもの、
どちらも多種多様で答えなどないからこそ、楽しい反面苦しさも生まれるのかもしれないと思うのでした。