しあわせのかけら

おたくとお片づけと手作り

音楽と思い出

アイドルを応援している人ならぶち当たることも多い感情のひとつが、「なんでもっと早くファンにならなかったんだろう」だ。


よほど初期から応援し始めていない限り、私たちが知るのは彼らの歴史の途中からだ。

 

殊に、「そのアイドルにとってある重要な局面を迎えた時、その時点でファンであったかどうか」ということは、ファンの間では大きな問題となることもある。

 

例えば、今や国民的アイドルの嵐は、2007〜2008を境に古株と新規という認識がなされていたり、ジャニーズWESTは、デビュー前からのファンかデビュー後のファンか、という視点があったりする。
(こういう言い方が嫌な人、もっと他の区切り方をしている人、全く気にしない人、様々である理解しています)

 

残念ながら、私はどちらにおいても後者だ。

もちろんそれは、知る機会がそれまでになかったとか、自分自身の生活の余裕とか、色んなタイミングがちょうどその時であっただけで、
そもそも誰を好きになっても自由であるのだから、
「昔からのファンではないのだから、ちゃんと”私には知らないことがたくさんあるし、勉強したところで、わからない気持ちがたくさん存在しているんだ”ということを知った上で、ファンでいよう」と思った。

 

でも、
デビュー当時のコンサートの席が埋まらない時代から嵐を見てきた人たち。
24コンの会場で見た、Jr.時代から現ジャニーズWESTのメンバーを支えてきたファンの人たちの涙。

こんな光景を見るたびに、なんだか自分が卑怯というか、ただの良いとこ取りをしているような都合のいいファンである気がして、

応援することに戸惑いを覚えたことがあった。

 

 

 


誰かを応援しているということは、自分の時間軸とその人の時間軸がリアルタイムで重なっているということ。

だから、どんなに必死に昔の曲を覚えたって、そこにホンモノの自分の時間軸は流れてない。

 

当時の等身大の彼らが届けてくれるパフォーマンス、あの時の彼らが紡ぐ時間とともに流れていた自分の時間。

自分の気持ちを代弁してくれているかのような歌詞に、優しい歌声に、涙した夜。

ステージで見たキラキラした笑顔に、心打たれた日。

 

音楽は思い出だ。

彼らが自分たちの歴史を振り返る時、
わたしたちも自分の歴史を振り返る。
彼らの歴史とともに流れてきた自分の歴史を。
楽しい時もつらい時も、いつもそばには彼らの音楽があった。

 

一緒にコンサートに行った、大切な人との時間。
ある人は、今も変わらずとなりに居てくれることに感謝する。
またある人は、もうその人とは縁遠くなってしまっていて、それでもあの時代一緒に過ごしたその人のことを、懐かしく思い出す。

 

直接関わることのできる存在でなくても、彼らの存在は、たしかに自分の人生の一部だ。

 

応援している時間が長く、たくさんの時代を彼らと一緒に生きてきた人たちは、
きっとアイドル側にとっても特別な人たちなのだろうし、そこを覆すことはできない以上、
「新規も古株も関係ない!」なんて言えないと思う。


昔からのファンの人たちと、最近応援し始めた人たちが、同じ気持ちを抱けるはずはない。
つらい気持ちも共有してきたからこそ得られる、彼らの姿から与えられる感動は、
そういう人たちだけの特権だし、
アイドル側と昔からのファンの人たちとの間にしか生まれない絆であり、宝物だ。

 

それを羨ましいと思わないかと言われると、当然羨ましい。
「何でもっと早く…」という冒頭の感情がとめどなく湧き上がってくる。

 

でも、過去には戻れない。過去ばかり見つめていると、今を失う。


結局は、与えられたタイミングで、
自分が応援したいと思った人との時間軸の共有を、
その輪の中で紡がれる自分の周りの大切な人たちとの時間を、
心から楽しんで思い出にするしかないし、それが一番すてきなことだ。

 

だからこのお正月に、
三が日から横浜に遠征したことも、

大好きな友だちと4連の記念に写真を撮った瞬間も、

感動で涙が出た瞬間も、


いまリアルタイムで聴いてるこの音楽を「懐かしい」と感じ始めたとき、
それはキラキラした思い出になるんだろう。